新宇多田ヒカルのホンタイ
宇多田ヒカルのホンタイは宇宙樹だと仮定する。
宇多田ヒカルの歌は微生物だと仮定する。
宇多田ヒカルは「みんなぁ」と、人々に呼びかけるから、みんなぁと呼びかけられた人々は自分が宇多田ヒカルの仲間のような気がしたりする。あるいは、宇多田ヒカルの歌の世界に自分が投影されているような気になる。
宇宙樹と繋がった気になった人々。しかし、宇宙樹は宇宙樹であって、人々は宇宙樹ではない。
宇多田ヒカルは宇多田ヒカルであって、人々は宇多田ヒカルを共有できないし、宇多田ヒカルは人々を代表していない。
広大な空間に広範囲に根を張る宇宙樹。人々の足下にまで伸びる根。けれど根は直接人々と結びついていないし、根は人々を結びつけていない。
微生物が媒介している。微生物は人々に広く分布される。けれど微生物でさえ、個である。個と個の対話が細部に行き渡っている。
同じ歌ではない。それぞれが微生物を介して異なる歌をそれぞれで再構築している。
それでもつたわる共通項はある。その共通項は宇宙樹からもたらされたものではない。その共通項は宇多田ヒカルからもたらされたものではない。共通項はすでにあなたが持っていたものだ。
宇宙樹は、宇多田ヒカルは「みんなぁ」から距離を置いた遠くにいる。微生物が身近なので、歌は身近だ。ユニークな存在は遠くにいる。遠くにいるからユニークなのだ。
ユニークな存在は孤独だ。孤独な存在は宇宙樹だ。孤独なユニークな存在すべてが宇宙樹だ。宇宙樹はいつだって宇宙樹としか対話できない。
宇多田ヒカルが呼びかける「みんなぁ」は宇宙樹そのものである。根を広げ枝葉を広げた宇宙樹が「みんなぁ」と呼びかけるから宇宙樹の外の人々は自分に呼びかけていると勘違いする。宇宙樹は人々の外にいる。宇宙樹は自分の内部にいる宇宙樹に呼びかけ対話している。宇宙樹内部の対話は、微生物を媒介とする必要がない。距離がないのだから。微生物が介在する隙がないのだ。
宇多田ヒカルと対話するならユニークな宇宙樹になればいい。